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「屈託のない交換業者」~10大事件としての仮想通貨②

  • 執筆者の写真: 健司 藤井
    健司 藤井
  • 2018年6月24日
  • 読了時間: 2分

仮想通貨について考えるときに、多くの人が感じる疑問は、「何か腑に落ちない」、「腹落ちしない」、もっとはっきり言ってしまえば「胡散臭い」感覚だろう。

 今年の春に新進の仮想通貨交換業者の方の講演を聞いた。流体力学で博士号を持つ彼の講演では、「そもそもお金とは、「他人が”それ”をお金であると信じている事」であり、通貨の管理を中央銀行ではなく、アルゴリズムが行っている点が異なるだけで、通貨の3基本機能である、「①交換の媒介、②価値の尺度、③価値の蓄蔵」を満たしている、 というコメントがなされた。論理は明快であり、議論は誠実で屈託ない。 (ただし、通貨の基本機能を充足しているか、どうかについては別途議論したい。) 講演者よりも2回りも平均年齢が高いとみられる出席者からは、折りからのコインチェック問題も念頭に厳しい質問が相次いだが、彼には何も罪はないし、そもそもボランティアで登壇した彼を批判するのはお門違いだろう。

 「そもそもアプローチが新しく、ビットコインはそもそも「壮大な実験」で始まったもの。今でも実験途上だと思っている人もいる。それにつけ入る輩が多少いても仕方ない。そもそもが「実験」なのだから。」こう語った彼の議論には少なくとも嘘はない。またその議論も極めて屈託がない。

Q:そもそもブロックチェーン技術は、移転が記録されて追跡可能という話だったはずではないか。 A:現金にも「ニセ札」は存在する。それに比べれば被害は僅少とも言える。

Q:コインチェックにおけるNEM盗難では、盗難を含めた前後の取引を無効にすることもできたはずではないか。 A:かつてイーサリアムが不正を受けた際に、取引の「ロールバック」を行い、取引を無効とした結果、その後イーサリアムは分裂を余儀なくされた。

回答は極めて屈託ない。だが、こうしてメモにすると、質問と回答が微妙にずれていることに 気付かないだろうか。出席者には煮え切らない感が残った夜になった。

 セミナーの数日後、彼が代表を務める仮想通貨交換業者が大手金融業者の出資を受け、 事実上売却されたことが新聞紙上をにぎわせた。 なるほど、あの屈託のなさは、「ディール」を仕上げた充実感から来ていたのか。 それは同時に、交換業者のビジネスモデルや目的は、資金の貸し手と取り手との間の 円滑な仲介や、市場の健全な維持育成を目指す金融機関のものとは全く異なるのだ、 ということを妙に納得した瞬間だった。

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